– マテリアル(素材)の発見 –
2014年度から愛知県が開催している「あいちアール・ブリュット展」も、おかげ様で2020年度で7回目になります。また、愛知県として初めての三河地方における展示となる「あいちアール・ブリュット・サテライト展」を、豊川市桜ヶ丘ミュージアムにて2019年度から開催し、今年2回目を開催しました。
アール・ブリュットと云う言葉は「生(き)の芸術」という意味のフランス語。artは芸術、brutはワインなどが(生)のままである様子をいい、画家のジャン・デュビュッフェが1945年に考案した言葉です。「正規の美術教育を受けていない人が自発的に生み出した、既存の芸術モードに影響を受けていない絵画や造形のこと。」です。
障害者の芸術が話題になるのは、日本では山下清になる。戦前に1938年(昭和13年)八幡学園の美術教育に関心を持った戸川行男が、早稲田大学大隅講堂小講堂で『特異児童作品展』を開催。さらに1939年(昭和14年)東京・銀座の青樹社にて、『特異児童作品展』が開催された。これは小林秀雄や川端康成や安井會太郎まで、当時、文化人と云われる人々に話題を提供したが大衆的な広がりにはならず日本は戦争に突入する。山下は戦争反対で自らの死を恐れていた。それは自画像として残っている。戦後1945年(昭和29年)朝日新聞が山下清の捜索記事を掲載して以降、山下ブームになる。年譜に拠ると同年、瀧口修造の「(現代作家)ジャン・デュビュッフェ」が『美術手帖』10月号に掲載される。日本で初めて「ラール・ブリュ」(アール・ブリュット)という言葉が紹介された。デュビュッフェは「芸術がどんな習練をも必要としないというのではなく、芸術には他からの教えや過去の芸術家たちの仕事の研究を必要としない。誰であろうと、知識や特殊な技巧もなしに、芸術に従事してあらゆる機会を捉えることができると私は信じている。ただ自己にふさわしい表現の手段を発見するのが難しいのだ。」と書いている。誰でも表現する自由、それが障害を越える大切なことではないでしょうか。
今回の「あいちアール・ブリュット・サテライト展」から「マテリアル(素材)の発見」と云うテーマに取り組みました。自由な素材の多様化の拡大から表現のヒントや障害の意味を探る。障害を持つ方と芸術大学の教員+院生+学生たちとのコラボレーション作品も展示しました。いろんな素材から美しいと感じるものを拾い集める。モノには硬いもの柔らかいもの、その素材の意味や見え方、感触も含めて私たちにどう伝わるだろうか、それを考える展示。「障害」もその属性の一つに過ぎません。
「アール・ブリュット」と云う言葉が「障害者アート」に落とし込められてきた流れから転換する機会ではないでしょうか?障害と云う言葉は社会的な「属性」です。アートは「表現」手段を用いて、この「属性」を越えて行くのです。「福祉」は障害に寄り添い共に生きる活動です。それにリンクすることで精神の自由をアートでさらに謳歌する活動へとステップを進めましょう。色々な属性に縛られている人々に社会の中で生きる場所作りとなる「アール・ブリュット」を推し進めましょう!
コロナ以後、アートの流れも変わりました。まずは自宅や施設に引きこもるのが自然体だろうと思います。外出そのものが感染の拡大をもたらす元凶とされている現状があります。家に引きこもるしかないという状況が長く続いています。これを負の連鎖と考えるのではなく、自宅なり施設での制作活動に繋げれば新しい活動に繋がります。2020年度の「あいちアール・ブリュット」には666点もの応募作品がありました。発表する場の感染防止を図ることで芸術活動への自由な情熱は新しい表現の発露となります。
また、制作と云う概念を突き詰めて行くと、アートの「属性」に突き当たります。アートは現代美術のように純化することだけでなく、描くことの中に多くのストーリー(物語としての属性)を取り込むことになります。アール・ブリュットはその「属性」の極みを表現していると思います。人間は自然の一部であり、神の「属性」をある一定の仕方で表現することも出来るのです。例えばモードという言葉は「仕方」「やり方」「様式」を意味します。
一人ひとりの自由が社会の安定につながる。「一人ひとりの権利が蹂躙され、努力が踏みにじられる、そのような国家や社会は長続きしない」というのが哲学者スピノザの考えでした。一人ひとりうまく自らの努力に従って生きていければこそ、集団は長続きする。なぜならばその時に人は自由であるからというわけです。
NPO法人 愛知アート・コレクティブ
代表 鈴木敏春